連載 水を伝える

日本水道新聞社は2024年で創業70周年を迎えました。本連載では、約70年間にわたる当社の報道について、日本水道新聞、日本下水道新聞の過去の紙面を通じて、印象的な出来事を回顧していきます。70周年という節目を迎えるに当たり、創刊号からこれまでの紙面を振り返ることで、読者の皆さまに当社の報道を通じた上下水道史を伝えるとともに、われわれも歴史の教訓から学び、次の10年に向けて、新たな一歩を踏み出すきっかけとしたいと考えています。

第38回 沖縄渇水332日でストップ 西日本一帯で渇水

昭和57年_06月10日 日本水道新聞_第2308号
昭和57年_07月08日 日本水道新聞_第2316号

2024年1月5日

わが国の長期渇水記録は、昭和53年福岡市の287日でしたが、沖縄県企業局が昭和56年7月10日の夜間10時間断水に突入して以来、隔日20時間給水(28時間断水)を含む厳しい給水制限を強いられていました。57年5月28日~6月3日にかけて沖縄本島全域にわたり、約200mmの集中降雨があり、ダムの貯水量が回復、6月7日正午、332日ぶりに正常給水に戻りました。その様子は昭和57年6月10日の日本水道新聞において、トップ記事として次のように報道されています。

三百日を超える記録的な給水体制を実施していた沖縄県企業局は五日の沖縄渇水対策連絡協議会(国、県、市、気象台で構成)の制限解除の決定をうけ、七日正午をもって給水制限を解除した。これは五月の降雨量が順調に伸びたことと、五月末から六月にかけて本島全域に平均二百㍉の集中した降雨があり、水源のダムが急速に回復したため。
七日午前〇時時点の水源状況は県管理の三ダム(端慶山、天願、金武)合計が三百九十八万二千立方㍍で満水時(四百二十万六千立方㍍)の九四・七%、国管理の福地ダムが三千十八万九千立方㍍で満水時(三千九百万立方㍍)の七七・四%となっており、その大宗を占める福地ダムが七〇%を超えたのは昨年六月以来のこと。また、県企業局が取水している七河川でも三月までの集中降雨で流量が大幅に回復、一時は十万立方㍍/日までに落ち込んでいた取水量も十八万立方㍍まで取水可能となっており、ダムの貯水量回復と合わせて制限解除の要因となった。
(中略)約十一ヵ月ぶりの全面解除で関係者はもとより県民も「ホット一息」。とはいえ、平年通りでいけば二十日すぎには梅雨が開け、水の需要の最盛期を迎えることから「六月、七月は全面給水を続けられるが、八月以降は分からない。もう少し降ってくれれば……」(県企業局配水管理課)と不安感を完全にぬぐえないのが実状。

(中略)沖縄では昭和五十四年を除いて毎年のように制限給水を行っているが、これは県内に大きな河川がないために降った雨もすぐ海に流れ込んでしまうのが最大の原因。(中略)このため国でもダム建設を積極的に進めており、安波ダム(貯水量千七百四十六万立方㍍)、普久川(ふん)ダム(同二百五十五万立方㍍)を今春完成、目下試験湛水を行い来年には供用開始というところまでこぎつけている。また、現在の水ガメ福地ダムの再開発も本年度中に完了の予定で、三千九百万立方㍍を四千四百七十万立方㍍に増設される。このほか、羽根地、漢那両ダムの建設も実施調査の最終段階を迎えており、本年度中に工事に着手される見込み。
一方、県企業局でも独自に北部西系列の十三河川の開発を進めており、豊水時に可能な範囲でできるだけ多量に取水し、既存ダムへの嵩上げ、新設貯水池に貯留することを着々と進めている。(原文ママ)

なお、この年は西日本各地で渇水が発生しました。昭和57年7月8日号の日本水道新聞では、「西日本渇水 12県63水道で断減水」として、西日本一帯で渇水が深刻化している模様を次のように伝えています。

西日本一帯で渇水が深刻化している。厚生省では五日現在の各地の断減水状況をまとめたが、それによると断水、減水等の制限給水が行われているのは西日本を中心とした十二県の八市二十五町で、用水供給二、上水道十五、簡易水道四十六の計六十三ヵ所となっている。愛媛県では宇和島市を中心とした一市二町の十七の簡易水道で、また佐賀県では唐津市など三市五町の四水道、七簡易水道でそれぞれ制限給水が行われ、五十三年に大渇水に見舞われた福岡市でもこの十日からの給水制限を予定するなど各地で水不足が深刻化している。

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